ずっと前から変わらないこと

何年も前から、何度も何度も繰り返して。
ぜんぜん変わることもないし、きっと変えられることもないのだと思います。

わたしが、どこに居場所があって、どこで落ち着けるのだろう。

って、漠然と思うこと。

別に答えがあって、こうしたいとか、こうなりたいとかも無くて。

ただ、ただ。
漠然としていて。
なんとなく不満があって、それが何かもよく分かっていなくて。

理由も無いのに、何かに当たりたくなって。
だからといって当たる場所も無くて。

だた悶々とした時間が続くばかり。
いつまで、そんなことを繰り返して、そういう人であり続けるのだろうと思うけれど。

どこかから、そんなひとのなったまま。
変わることもなくて。

たぶん、わたしはずっとこのまま。
自分がどうしたいのか、どうなりたいのかも分からないし。
考えられないまま。

そうやって過ごしていくのだと思います。

もう何もかもを、やめてしまえば楽になるのかもしれないけれど。
考えることもなくなって、わたしがどうしたいのかと思うこともなくなって。
それは楽なことだろうと思うけれど。

でも、そうなるほどの覚悟も無いし。
きっと誰かがなんとかしてくれて、わたしが自分で何かをしなくても。
いつのまにか、解決をしているような。
そんな甘い思いもあるのだと。。。。

日々は過ぎていくけれど。
わたしが、そうやって思っていくのは変わらないし、成長もしないし。

コメント

  1. wolf より:

    物理的な場所、というものは進学や就職や婚姻や転勤で変わるのでしょうけれど。
    世帯主であれ、扶養者であれ、被扶養者であれ、囲われ者(差別用語かも)であれ、
    一番大事なのは自分自身なのではないでしょうか。
    人は自然に自分を第一にできる環境に動いて行くんだと思います。
    折り合いをつけて。
    折り合いがつかないと外から見れば尖った行動に見えることを繰り返すのかもしれない。
    時間軸もありますがきっとどこかで折り合いがついて、着地点が見えてきますよ。
    ・・・ちなみに、私は宗教関係者ではありません。 戻って来られたことを喜んでます。