いろいろなひと

まったく同じひとなんてどこにもいないし、それぞれが別々だってことが、とても大切で貴重なことだと思います。
わたしも変わっている方だと思うけど、それが個性で、他のひとと違うところがあって貴重なんじゃないかなって思っています。

合うひと、合わないひとがいるのは、それぞれの個性の形があるから、ネジとドライバーの大きさが合わないことがあるのと同じで。

ちょっとした違いがあるだけで、ほんとは大きな違いはないのだけど、それだけのことなのに合わなかったり・・・

やっぱりひとっていろいろなんだなって思います。

あえてわたしが大袈裟にいうことでもないのだけど。。。

仕事とか、それ以外のこととか。
最近のわたしの場合はインターネットを通じてとか。

みんないろいろな状況で、いろいろなひとに出会ったり、そのひとに触れたりすると思います。

そんな中で、合ったり合わなかったりっていうことがあって、中には合わなすぎて気持ちを乱してしまったり。
逆に居心地が良すぎたり。

そんなことを感じています。

何かが悪いわけじゃないし、違っていて当たり前だし。

だけど合わないことも当たり前。
みんな違っているから。

わたしもひととはちょっと違っているから、中には心配をしてくれるひともいるし、親や友だちのように叱ってくれるひともいるし。

素直にそれが聞けることもあれば、言葉のひとつがスッと耳に入らなくて、気持ちだけが荒立ってしまうこともあります。

自分に興味を持ってくれるひとに対して悪い印象は受けないと思うけれど、「わたしが・わたしが」ってくるひとには、ちょっと身を引いて構えてしまうひとは多いと思います。

そんなのも本当は「相手のひとにも、自分に興味を持って欲しい」っていう気持ちからそう言うのかな。。。

言葉の選び方が悪いこともあるかもしれないし、誰か特定のひとを差して言っているわけでもないです。
だけど少しでもわたしと関わったり、言葉を交わしたりしたことを思い出して、考えてみました。

もちろん旦那さんのことや、仲良くしてくれる友だちひとりひとりのことも。

ちょっとだけネジの大きさが違うとか。
自分が入っていける形が違っているだけ。

その違いがとても大きいけれど。
とても大切なことです。

コメント

  1. GEN より:

    ほんとに反りの合う人、合わない人、合わせられる人、絶対無理な人、いますよね。でも全員合う人ばかりでもダメだと思うし…
    ネジの形も時と共に変わる事もあるし、だからネジの形が合う人は大切にしたいし、パートナーがいつまでもネジの形が合うようにしたいものです。

  2. ゆう より:

    相手が合わせるのか、自分が合わせるのかっていう感じなのかなと思います。